今、作品づくりにおいて 日記 について考えているのですが。
日記文学というジャンルはれっきとしてあって
更級日記
蜻蛉日記
土佐日記
…
どれも、第三者に読まれることを前提として書かれているのですよね。
でも、本来的な、純粋に自分の為だけに書かれている日記
他者の目に触れさせるつもりが毛頭ない日記
が、死後出版されたり ということもありますよね。
本人の望むところかそうでないかに関わらず。
良い悪い ということではなくて、
不思議だな と思います。
作品として残したつもりでないものが、
作品として評価されたりする、ということが。
手紙とかもそうですね。
日記ではないのですが、ヘンリー・ダーガーさんとか。
消費される目的でない表現を消費することって。
不思議です。