先日仕事で、鹿本郡植木町にある瑞泉寺を訪ねました。
放浪の俳人 種田山頭火が、堂守として1年数ヶ月を過ごしたお寺。
(当時は草庵だったそうです)
生前の山頭火と会ったこともあるという
瑞泉寺の80歳近いおばあちゃんに、
色々お話を伺うことが出来て興味深かったです。
幼少の頃母親が自殺、
父親の放蕩と自身の酒癖で家業は倒産、
その後父親と弟も自殺。
自分も何度も命を絶とうとして、
熊本でもバスに飛び込んだりしてたとか。
それも果たされず、妻子も全て捨てて、放浪の旅に出て。
わぁ、壮絶…と思ってしまいますが。
そんな人生とはうらはらに
微笑ましかったり寂しかったり
日常のちょっとしたひとこまを切り取った山頭火の句は、
素直に心に響きます。
瑞泉寺のおばあちゃんが、こんなことを言っていたのが印象的でした。
今は、自由律俳句の代表みたいに言われて有名になってるけど、
無名の頃、早稲田大学時代の友達の●●さんが、
一生懸命、山頭火の宣伝をしてあげていたよ。
●●さんがいなかったら、こんなに有名になってないと思うよ。
うーん。
表現者は往々にして自分を世に知らしめる術など知らないもので…
我々のような山頭火の句を鑑賞する後世のものからすれば
その●●さんの仕事は偉大でしたよ、
と思うとともに。
自分の周りにいる表現者の幾人かを思い、
わたしも●●さんのようにならないとな、と。
原点にかえったような気持ちになったのです。
天われを殺さずして詩を作らしむ
われ生きて詩を作らむ
われみづからのまことなる詩を
(『銃後』より)
—-
●日報●
演劇大学の件で調整、調整。
色々たいへん。