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転回社通信

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【こふく劇場・水をめぐる】絶賛仕込み中

宮崎からやって来られましたよー
こふく劇場ご一行さま。
ただいま女性センターにて仕込み中です。

本番は明日の18:30から!
19:00 ではありませんのでくれぐれもご注意ください。
あまり開演に遅れないでいただけると…非常にありがたいです…。

それでは皆さまのご来場をお待ちしてますー。

【東京一日目】双葉のレッスン@スズナリ

東京に行ってきました。
一日目、流山児★事務所『双葉のレッスン』を観ました。

熊本を出るとき、だいぶあたふたして、
お金は向こうで降ろせばいいや、とか思ってとりあえず下北沢に。
そしたらどこのATMでも肥後銀行、扱ってくれてない。
いくつも銀行とATMをまわって、あぁこれはもうお金がおろせないのかもしれない…
と、絶望的な気分になり、泣きそうになって交番へ行く。

私『お金おろせなくて…かしてくれませんか?』
おまわりさん『交番は銀行じゃありません。』

追い出されました。当たり前ですね。
おまわりさんを困らせるのはやめましょう。
非常識な110番通報も増えてるらしいし。

結果、スズナリの近くのローソンで降ろせました。
本当によかったです。

そして観劇。

すごかったなぁ。
あまの節炸裂。きっかけの嵐、嵐。
ラストはもうせつなくてしょうがなかったです。
地上とは想い出ならずや、ですね、あまのさん。

***

終演後、打ち上げにも混ぜてもらいました。
で、打ち上げが終わるころ明日のソワレを観劇予定の亀井さんが東京着。

あまのさんのはからいで、別の店で飲んでるあがた森魚さんと飲むことに。
(亀井さんと私はあがたさんが大好きなのです)
いやぁ、あがたさんでしたよ。
泥酔するあがたさん、喋ってるあがたさん、眠ってるあがたさん。
をちらりちらりとみれるだけでもう、幸せ。

私は、あがたさんの『春の嵐の夜の手品師』という曲が本当に好きで、
ここ数ヶ月毎日のように聴いているのですが。
せめてそのことだけは伝えたい、と思って
トイレに行こうとするあがたさんをつかまえてみました。
でも、まぁ例によって頭が白くなってしまい、

私『あの、毎日、聴いてます、あの…春の…春の手品の…えーと』
あがたさん『春の嵐の夜の手品師。』

会話終了。ほんとに好きなのかよって感じですね。
でも幸せでした。
そのあともあがたさんのスタッフさんと、あの曲は特別だよね、すごいよね、とか話して。
今日唄ったんだよ、と聴いてなんというかぐっとなりました。
本当に大好きな曲です。

***

で、あがたさんたちとは別れて、別のお店に飲みに。
あまのさん、山田勇男さん、ライターのうにたもみいちさんと吉沢さん、
王者舘の映像の濱島さん、写真家の首藤幹男さん、
というなんかすごいメンツの中になぜかいる私と亀井さん。

楽しかったです。
その日は朝5時くらいまで飲んで、ネカフェ泊。

***

二日目は、追って書きます。

演劇大学in熊本2008

今年も、演出者協会主催の演劇大学を開催します。
今年はなんと流山児さんと天野天街さんが山鹿で合宿形式のWS。
県立劇場では
こふく劇場の永山さんによる俳優向けのWS、
燐光群の坂手さんと清水さんによる演出家向けのWS。
パネルディスカッション『地域で演劇をするということ』も開催。

本当におすすめなので、是非ご参加下さい。

概要はこちら↓

演出者協会熊本ブロック公式サイト
http://jdak.org/

東京でなくてよかった

芸術立国論

読まなきゃ読まなきゃ、とずっと思っていて、やっと読了。
でも、今このタイミングで、
転回社をはじめてから読んで良かった。

地域の芸術を上質なワインにたとえて。
ここが東京でなくてよかったと思えました。

あぁ、あと大卒の時点で億単位の借金を抱えてたオリザさんを思えば
自分の状況なんて、比になりませんね。

桜も石段もきれいでしたよ

先日仕事で、鹿本郡植木町にある瑞泉寺を訪ねました。
放浪の俳人 種田山頭火が、堂守として1年数ヶ月を過ごしたお寺。
(当時は草庵だったそうです)

生前の山頭火と会ったこともあるという
瑞泉寺の80歳近いおばあちゃんに、
色々お話を伺うことが出来て興味深かったです。

幼少の頃母親が自殺、
父親の放蕩と自身の酒癖で家業は倒産、
その後父親と弟も自殺。
自分も何度も命を絶とうとして、
熊本でもバスに飛び込んだりしてたとか。
それも果たされず、妻子も全て捨てて、放浪の旅に出て。

わぁ、壮絶…と思ってしまいますが。

そんな人生とはうらはらに
微笑ましかったり寂しかったり
日常のちょっとしたひとこまを切り取った山頭火の句は、
素直に心に響きます。

瑞泉寺のおばあちゃんが、こんなことを言っていたのが印象的でした。

今は、自由律俳句の代表みたいに言われて有名になってるけど、
無名の頃、早稲田大学時代の友達の●●さんが、
一生懸命、山頭火の宣伝をしてあげていたよ。
●●さんがいなかったら、こんなに有名になってないと思うよ。

うーん。
表現者は往々にして自分を世に知らしめる術など知らないもので…
我々のような山頭火の句を鑑賞する後世のものからすれば
その●●さんの仕事は偉大でしたよ、
と思うとともに。
自分の周りにいる表現者の幾人かを思い、
わたしも●●さんのようにならないとな、と。
原点にかえったような気持ちになったのです。

天われを殺さずして詩を作らしむ
 
われ生きて詩を作らむ

われみづからのまことなる詩を

(『銃後』より)


●日報●

演劇大学の件で調整、調整。
色々たいへん。

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